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  • 2012.03.09
  • 社長日記

命の絆・・・誕生日に・・・・

44年前の 1968年 昭和43年の今日、3月9日に私は生まれた、母はデザイナー、父は剣道家。

生まれたタイミングで父の車がパンクしたらしい(笑)

僕にとっての父も母も大切な存在であることは間違いない。松本晃幸という人間に魂が宿るまでにどのくらいの男女が結ばれているか・・・・

ある人に教えていただいたことがある。

鎌倉時代までとして考えても今の自分が生まれるまで父方だけの直系で25代さかのぼる・・・・・

何人かわかりますか?答えはなんと、67’108’862人の御先祖さまがいらっしゃることになる。

僕の命、人の命はその人たちのDNAを受け継いだ貴重な命なのだ、どこかで一人が欠けても僕は生れてこなかった。だから命は大切なものなのだと・・・・。

私の家庭は共働きの両親、祖父母、姉と弟の7人家族だった、父は厳格な星一徹のような人、母は厳しくも優しい花の大好きな可愛い人。

幼少期は身体が小さく弱くいつも青い顔をしていた。わんぱくな友達には、いつも負けている弱くて教室にこもって絵を描いているのが好きだった。

小学生から剣道をしていた、父が先生でいつも強くてカッコ良かった、「俺もおおきくなって大人になったらきっとあんなに強い剣士になり、社長になるんだ」と思っていた。

中学でも剣道をしていたがパンクロック音楽に夢中になった。女性には全然もてなかったな(笑)

高校でも剣道部、大阪の男子校でした。女子とは無縁の学校で、このころは体育会系の男子になっていた、通学は電車だったので他校の学生との喧嘩が絶えなかった、今思えばつまらない喧嘩ばかりだったが、このころに友達の大切さ仲間の大切さを覚えたのかもしれない。
両親には迷惑ばかりかけた・・・警察に迎えに来てもらったり、学校に呼び出されたり・・・
このころは本気で自分は世の中に不要な人間だと思っていた、チンピラで野たれ死ぬのだと思っていた。

大学は愛知県へ・・・「しごき」が日本一と有名な剣道部のある大学だった(今はなくなってます)、陰湿な先輩のしごきに耐えた、「ここで辞めたら負けと同じだ」遠く離れた親の顔もちらついた・・・。この時に親友と本気で呼べる男に出会った、それまでの私は性格がかなり異質で近寄りがたかったのだろう、本当に友達と呼べる人間はいなかった。

卒業後は専門学校で再び学んだ、「電気」を学んだ、それと同時に「トライアスロン」のとりこになった。楽しくて楽しくてトレーニングづけになった。

そのことで父とケンカした、初めて父親にたてついた、それは一般の男子から見ればかなり遅い部類だろう、それだけ今までの自分には何も武器がなかったし、根性も座ってなかった。私はトライアスロン「努力」という意味を知った、目標は必ず達成できるものだと知った。「本気」という意味を知った、人間の体を究極な所まで追いこむ事により第六感が芽生える事を知った。

阪神大震災の大切さとはかなさを知った。昨日でも明日でもない、今日を死ぬ気で生きることが大事と思った。

トライアスロンが燃え尽き、ふと、自分の人生を振り返ってみた・・・貧乏な家庭の主人になっていた。

家族を持つと人の事も違って見える。父の会社の社員さんが自分の家族に見えた。

家業を継ぐことにした、建設業界に自分の命を捧げようと思った。そして一瞬でも世界の為に働けるならそれを目指そうと思った。

夢を造った、壮大な夢を造った、今回はトライアスロンの頃のような自分だけの夢でない、僕も家族も周りの人々が含まれた幸せな夢だ、ここでは言えないが、知らない人も笑えないと私の夢は完結しない。世界の人々が笑顔で暮らせる世界に・・・

自分の目に入るもの、耳から聞こえる事に、悲しいニュースがあると辛い、知らない人のニュースでも辛い・・・・
って事は僕の人生の何%かが辛いと言うことだと考えるようになった。せめて周りの友達は笑顔でいてほしい。

お母さん、貴方の必要以上に相手を愛する心、大きな器で相手を思いやることの大切さを教えていただきました。

お父さん、男は強くなくてはいけない、男はやりたいことを貫かなくてはならない事、家族に対する家長のあり方を教えていただきました。

ありがとう!

今日から44歳!命の火はまだまだ燃えています。
まだまだ青二才ですがこれからも宜しくお願いします。

皆さんの沢山のメッセージありがとうございました。

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